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3月11日

あの日から1年が経ちました。

テレビを見ていても、新聞を読んでいても、嗚咽が漏れそうになる事があります。

今朝の読売新聞の朝刊には、震災で亡くなった方へ寄せるご家族の方からのメッセージが載っていました。6歳のお嬢さんを亡くしたお母さんのメッセージ。「お母さんだいすき」というお手紙を沢山くれていたのに、こっそり捨てていてゴメンね。ずっともらえるものだと思っていた、と。

そのお嬢さんはうちの娘と同い年。そして私は今日も娘から「お母さん大好き」というお手紙をもらって、こっそり捨てようと思っていたのです(実際毎日のようにもらうので、こっそり捨てることが多い)。私も、こんな日々がまだまだ続くと思っている。全部取っておいたら山になってしまうからこっそり捨てている。そのお母さんと自分がダブってしまう。震災がなければ、お母さんは今日もそのお嬢さんから同じような手紙をもらっていたのかもしれない。そして私だって、いつ突然そんな手紙はもらえなくなってしまうかもしれない。

すべてのことは突然失われてしまうかもしれないというのに、大切な日々が明日も同じようにあると思ってしまっている。

震災で多くの大切なものを失った方々のことを思うと、言葉を失います。祈るしか、ありません。そして自分に出来ることをやっていくしかないのだと思います。

以下、続きは先日の「音楽のチカラ」について。苦言を書いているので、それでもよい方はお読みください。


先日「音楽のチカラ」という番組で、嵐の5人が被災地の仮設住宅を訪れて、コンサートをプレゼントするというような場面が放映されていました。これを見て、私の気持ちはあちこちの方向へ飛んでしまい、非常に複雑な気持ちになりました。「よかったなあ、いいことしたなあ」みたいな気持ちにはなれなかったのです。

色々もっと収録していたのかなあと想像するのだけど、仮設住宅を訪問させていただいて、そちらの方々をご招待するのと、おそらく被災地在住のFC会員の皆さんをご招待するの?と、一緒くたにしないといけなかったのかなあ。嵐が大好きで、またいつかコンサートに行きたいと願っているファンの方々、もしかしたらCDや録画したものや雑誌などが失われてしまった方もいらっしゃるかもしれないし、嵐の曲や姿で本当に元気をもらっている方々にはきっとあれはいいのだろうなあと想像するのだけど、その声は放送されていないから、あそこでペンライトを振っている方々の存在はなんだか唐突に感じられるし、他方、嵐の名前もご存じないご高齢の方々や小さなお子さんを大きな音や眩しい照明のあるコンサートにご招待するのは本当に相手を思った行為なんだろうか?とも思える。仮設住宅枠の方々なのかな、と思われる方々はペンライトを振っているわけではないし、ネットで他の方も指摘していらしたけど、小さなお子さんをおぶさって、観覧していらした(後方の席のよう)。あの放送された中では色々な流れがチグハグで、あめをくれた可愛い男のこととのやり取りも私にはすんなり受け取れず、会場でお母さんからのメッセージになんだか感動場面みたいになっているのにも、実はますます気持ちが離れてしまった。あのチグハグな流れを見た上で「いいことしましたね!」みたいな場面を見せられても、居心地悪くて仕方なかった。

更には、嵐がどんな思いで、あの企画に臨んだのか、どういう思いで歌い踊って、そして帰ってきたのか、などはよくわからなかった。彼らの思いはどこに反映されていたのだろうか。飴をコンサートの前に舐めたこと?その男の子の方へ大ちゃんがせっせとファンサしていたとか握手会での様子もネットで流れていたけど、それらの詳細は放映からは読み取れないし、編集したスタッフの気持ちが全く理解できない。セトリはどうやって決めたのか、この見せ方は誰の意見で決められたものなのか。

私の心に響いたのは、仮設住宅におじゃましている場面での、特に相葉ちゃんの表情。こういうときに相葉ちゃんは自分の心をオープンにして相手の思いを受け入れようとしているのを感じます。バラエティに出ているときの、ゲストへの対応のときのほうが時々閉じているなあと感じることがあるくらい。ニッポンの嵐でもNHKの番組でも、こういうときに見せる嵐は本当に良いなあと思うのです。でもなんかこの形では、嵐のよい部分も結果的に歪められてしまうなあ・・・と思いました。本当は優等生的な感じよりも、まごまご嵐っぽいほうがもっと好きなんですけどね。

あと、コンサートで歌い踊る彼らの表情からは、この与えられた場所で、彼らは自分に出来ることをやったのだろうなということも伝わってきて、そこからエネルギーを沢山得られた人がいたであろうことも想像できました。私も、自分に出来ることをやるしかないな、という思いも得られました。

でも、「与えられた場所」というこの感覚。お仕着せのこの感じ・・・。

SMAPがNHKのドキュメンタリー番組の一部で、被災地を訪れて体育館で歌ったときの様子を思い出していました。一部とはいえ、メンバーがそれぞれどのような思いでその形で臨むのかが伝わってきたし、曲も直前まで変更しながら、どの曲なら気持ちに寄り添い、元気を与えられそうなのかを検討する空気が伝わってきたし、体育館で大きな音響もなく、照明もなく、シンプルに歌うだけ。そこにいる人たちの気持ちや形に寄り添おうという意図が伝わってきて、見ていてもすんなり受け止められる流れであり、内容でした。

勿論それぞれの形があり、同じでなくても良いのです。でも逆に、あの形を嵐は望んでいたわけ?っていうのも納得がいかない。なんか24時間テレビに対しても本当に気が重くなってしまって(私が勝手によ)。是非とも、自分たちの意見を言って、やり方に取り入れて欲しい。ただのアイコンにならないで欲しい。それだけの影響力もあって、自分たちで考えられる人たちだと思うからこそ。
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